ヒロシマ・ナガサキをアメリカで伝える難しさ

論文みたいなタイトルになっているけれど…。
今夜もちょっと涙した。今回は仏教のことじゃなく…。

重々知ってはいるけれど…。
アメリカで原爆のことを話すのは難しい。いや、若い世代にであれば実はそんなに大変だとは思わない。彼らは“実相を知らない”という部分が大きいので。
でもこれが戦争を知っている世代となると。大きな石を押して動かすくらい難しい。いや、別に彼らの考えを変えようとかそんなことはさらさら思っていない。ただ“原爆”と口にすること自体が困難。本当に。

今夜はここデコラ町のメソジスト教会に招待されてプレゼンを行った。
用意していたプレゼンもあったのだけど、会場に集まってくれていた40人近いお年寄りを見た途端、内容変更決定。彼らは戦争や原爆については私が話す必要もないだろう。それにお年寄りにあまり生々しい映像を見せたくないという気持ちもあった。

私はアメリカ人のおじいさんに対してある種の恐怖心がある。この人は第二次世界大戦に参加してたのかな、日本人のことを嫌ってるかな、といつも最初に考えてしまうのだ。これはNACの活動をする前から持っていた感情なのだけど、NACの活動をするようになって益々持つようになった感情だ。いわゆるトラウマ?

今夜も集まってくれたお年寄りのおじいさんの中には私を見る視線が明らかに敵意を感じさせられるものもあり、それだけでくじけてしまいそうだった。
プレゼンの最後にあるおじいさんが私のところに歩み寄り、“自分もあの時沖縄に居た。”と言った。その2日後に何とか・・・と言っていたけれどよく聞き取れなかった。日本のアジアでの蛮行について触れていた時に“うんうん”と言わんばかりに首を縦に大きく振っていたので、退役軍人の人なんだろうとは分かっていたけれど。いやぁ、久しぶりだな。このリアクション。これまで学生に話すことがほとんどだったのであまりないリアクションだったけれど、70、80代のおじいさんからはありがちなリアクション。“原爆が自分の命を救った。”これはその人にとっては真実なのだから、私はそれに対して何か言うつもりは毛頭ない。この年代の人には、その当時の一般の日本人の生活を聞く耳すらやはりないのか。
その後すぐに別のおじいさんが来て、“あなたみたいな人を待っていた。来てくれて本当にありがとう。この勇気ある活動を続けてください。”と目をウルウルさせて言ってくれた。私も思わずウルウルした。それはそのおじいさんの言葉が嬉しかったのと、同時に安心したから。まるで敵に囲まれているような気分になっていたので、そうじゃなかったんだと感じることができたから。

世間にはいろんな考えがあって、色んな人がいる。ただアメリカの人口8,000人の町では人と違う発言をすることは難しいのだ。特に軍事関係者、というか家族がイラクや軍隊に入っている人がとても多い地域で米軍や戦争に反対するような発言をするのは勇気がいるのだ。近所の人の息子がイラクに行っている時に戦争反対と言いにくいのは普通の感覚だろうと思う。それはアメリカ人だけじゃなくて日本でも同じことだろう。

私は典型的な“アメリカ中西部”にいるんだな~としみじみ感じた。
私はこんな小さな町では住めないな。
やっぱりいろんな人がいて色んな意見が認められる大都会がいい。

最後に若い牧師さんが来て、色々意見を言ってくれた。実際の原爆の被害や映像を見ることの大切さ、退役軍人の人たちについてなど。やはりアメリカも私たちの世代では大きく原爆に対する受け止め方が違うようだ。これから原爆について話しやすくなるのは間違いないだろう。ただ、話す人がいればの話だが…。
私は今夜相当エネルギーを使った。そしてなんで自分はこんな思いをしてまで原爆のことを伝え続けているのだろうとも思った。62年も前のことを…。

でもやっぱりこういうハードな日を支えてくれるのは、来てくれてありがとう、これからも伝え続けて、と言ってくれる言葉なのだ。分かってくれる人たちなのだ。
私がアメリカにこだわり続けたい理由はこのアメリカの原爆に対する複雑さなのだ。私は平均寿命まで生きたらまだ50年近く生きることができる。その間、アメリカ人の原爆に対する見方はどう変わるのだろうか。
アメリカと原爆。
私のライフワークになるのだろうと思う。
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by smilingmoon | 2007-03-17 04:32  

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