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始まりました。

今日から5月なんだー。でも全然実感がない。今週はただひたすら1日1日を乗り切るだけ。
今日の午後からいよいよ学会が始まった。といってもまだ今日は参加登録とオープニングセレモニーくらいだけれど。
少し時間があったので、一人でちょっと街の外れまで歩いてみた。日曜は基本的にどのお店も閉まるようだけれど、Bar(バール)とパン屋だけは開いていた。少し遠出したついでに地元のベーカリーでケーキとカフェオレをランチに頼んだら2ユーロ(260円)もしなかった。安―う。そうそう、私は外国に行ったらちょっと街の外れを冒険してみるのが好きだったんだ!と思い出した。なんだか地元の庶民の人の生活が見れて興味深い。英語は全く通じないけれど・・・。

学会の登録が始まると日本人ぽい人たちや英語を話す人たちがどんどん集まり始めた。120人は参加の予定なので、何だか小さな街がガイコクジンで溢れ始めた。私も一応事務局のお手伝いということで周辺をウロウロしていたが日本人の人たちもだいたい英語は話せるのであまりお手伝いをするまでもなかった。ただ、京都からご夫妻が参加されていて英語を話されないということだったので、彼らのお供をした。誰かのお役に立てるというのはちょっぴり嬉しい。

夜は広場にキャンドルを灯すセレモニーもあり、10時前にやっと暗くなり始めたのでちょうど良かった。しかしセレモニーの途中に予想外の出来事が起きた。
ここゲルニカがあるのはバスク地方という北部の地域なのだけど、このバスク地方は言葉もスペイン語とは全く異なり、人種も違うらしい。例えば、バスク人の30%の人の血液がマイナス型だとか。ブランコ将軍がスペインを支配していた70年代前半までは、このバスク語の使用も禁止されていて、いわば抑圧された地域であった。その時にETA(エタ)というテロリストグループの活動が盛んになり、バスク独立を目標に掲げスペイン各地でテロを起こすようになった。例えば、2004年3月にマドリッドで列車テロがあったのは記憶に新しいかもしれない。これも実際はアルカイダのテロだったにも関わらず、テロ直後にスペイン政府はETAのテロの可能性を示唆した。そんな具合にバスク地方とETAは切っても切れない関係なのだけど、最近ではバスクの人たちもテロというものを支持しておらず、ETAの活動もサポートしてないと聞いていた。
しかし今夜のそのキャンドルサービスの時、にわかに広場に3人の男性が侵入してきて、静かに横断幕を広げて黙って立っていた。その横断幕には“バスク独立”だとか“バスクの捕虜解放”などと書いてあった。最初は私も何が起きたのか分からなかったのだけど、事務局の女の子たちが説明してくれた。これはプログラムには入ってなかったことで望ましくないことだって。でもまぁ静かな非暴力のプロテストだったので、あまり深く追及する人はいなかった。この学会のオーガナイザーのイラッチェも彼らのところに行き何やら説得していたようだけど、結局その3人は立ちつくしたままだったし。
そんな感じで無難なスタートを切ったと思う。明日は朝8時からスタート。もうホテルに帰ったら12時前だし・・・。今週ヨレヨレになってそうで怖い。

by smilingmoon | 2005-05-01 12:57 | 日々坦々  

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